第一章 木臼と杵と刳物の起源

臼の定義と分類(1-1)

「臼」とは何か?

臼といえばいまでは餅つき用の搗臼とそばや抹茶につかう挽臼が思いつく。臼をを定義すると「ものをつぶしたり粉にする道具」ということになる。辞典的な定義では臼の全てを表すことはできないが、臼の起源は穀物や木の実を食べるために生まれた道具であることは確かだ。

臼とは呼ばれていないが、現在でも身の回りに臼の仲間がたくさんある。台所にあるすり鉢とすりこぎ、さらにおろし金も臼の仲間になる。英語では「ミル」ということから、コーヒーミルやペッパーミルが粉挽き用臼だとわかる。また、日常生活では使わないが乳鉢や薬研も臼類である。

日本での搗臼は餅つきや脱穀精白だけに使っていたわけではない。沖縄ではかまぼこのすり身に、こんにゃく芋、紅花染め、線香、そば粉、抹茶から磁器用の石をつぶしたり、粉末にしたりと様々な用途で使われた。下図は臼の流れを示したものだが、三輪茂雄著「臼」を参考させていただいた。

使用方法による分類

搗臼(ツキウス)

搗臼は窪みのある臼と棒状の杵の組み合わせで使うものをいう。いまは搗臼といえば餅つき臼ということになるが、少し前までは餅つきは特別な行事だった。主に脱穀、精白用に使われ、小型の臼は現在のすり鉢のような使われ方をしていた。

挽臼(ヒキウス)

そば粉を挽く石臼や茶臼コーヒーミル、ペッパーミルなどがこの仲間になる。元々は石などでできていて、平たい石に前後に摺り合わせて使っていた。この前後運動を回転運動に移行したのは紀元前1,000年ごろにはあったようだ。

材質による分類

搗臼の材質

搗臼には木製の木臼、石製の石臼が多いが、金属製、陶磁器製、現在ではプラスチック製の臼がある。

挽臼の材質

挽臼は石製のものがほとんどで、石臼というと挽臼を指すことが多い。しかし、かつては木製の挽き臼もあった。平安時代以降に中国から入ったもので木摺臼(キズリウス)は主に籾摺り臼として使われたが、現在で作られていない。また、同じ目的で土臼(トウス)などと呼ばれたもので、竹かごや樽に土を詰め、堅木の摺歯を埋め込んだものだった。

搗臼の起源(1-2)

臼の歴史は1万年以上

臼と杵のはじめは石の搗臼だった。1万年以上前からあった。当時は自然石を利用したもので、平らか窪んだ石の上に木の実などの食材を置き、手に持った石で砕いたり、すり潰したり、という使い方をしていた。臼は世界中にあり、人類の食生活で欠かせないもっとも重要な道具のひとつといえる。

木臼と杵の起源は縄文時代後期

本格的な木製の搗臼は弥生時代の遺跡から出土している。その前の縄文時代後期に大陸から稲作が伝わったが、同時に鉄器も入ってきている。大型の木臼は米を脱穀精白するのに欠かせないものだったことから、大型の搗臼も同様に大陸から伝わったものだと考えられる。出土した臼の数は少ないがくびれ臼で、杵はすべて竪杵だった。さらにすり鉢型に掘られている。木臼は最も古い刳物(くりもの)技法(木に窪みを掘り器などにする技法)により作られたもの。鉄器の伝来により、最低限必要な臼製作道具はすでに存在していた。製作方法も現在の手作りの臼と基本的に同じ方法で作られていると考えられる。刳物技法は最も古い木工技法で、木臼は最も古い木製品のひとつといえる。

弥生時代の銅鐸に臼を使う図が描かれている。それだけ臼は生活に欠かせない重要な道具だったことがわかる。

胴臼と横杵は江戸時代

馴染みのある胴臼と横杵の出現はずっと後になってから。弥生時代の出土品に無いわけではないが、普及は江戸時代まで待たなくてはならない。柄のついた形状は踏臼(ふみうす)が起源になっているようだ。踏臼といっても踏まれるのは杵の方で、足で踏んで体重を掛けてシーソーの先に付いた杵で搗く構造になっている。臼は木製も石製もあり、胴臼が多いようだがとくに決まりはない。踏臼は「からうす」とも呼ばれ、「碓」や「唐臼」という字が当てられる。

横杵は竪杵よりも生産性が高いために、農業生産量の増加に対応するために使われるようになったと考えられている。胴臼と横杵は同時期に出現していて、通常はセットで使われる。現在ある臼の形状は江戸時代に完成したといえる。

刳物の起源(1-3)

木工は縄文時代にはあった

木工の起源は石器の登場からであろう。石の割れた角で木を削ったり、切ったりできることに気づいたときに木工は始まった。石と石を打ち付けて作られた石器を打製石器という。3万年前の旧石器時代のことである。その後縄文時代には石を磨いて作った磨製石器登場し、刃物として使っていた。石器の刃物に木の柄を付けたオノやチョウナ、ノミなどがあり、建築や木工も盛んになった。

刳物は最も古い木工技法

「刳る」とは窪みを作るということで「彫る」と「掘る」と同じ意味がある。刳物とは木を刃物などでえぐって窪みをつけて作られた容器などのことを指す。手彫り・手掘りの臼とは正式には手刳りで、刳物ということになる。刳物の小さいものは匙(さじ)、杓子(しゃくし)で大きい物は木鉢、丸木舟などがある。

単純でシンプルな刳物は縄文時代からある最も古い木工技法の一つ。縄文時代には鉄器がなかったため、石器で作られていた。石器だけで作る方法もあるが、中を火や炭で焦がして石器で削ることで作っていたのかもしれない。

大型木臼は鉄器の出現で確立した

縄文時代後期から弥生時代には鉄器が登場した。この時代の鉄器はまだまだ単純な構造のものしかなった。オノ、チョウナ、ノミ、ナイフの類のものだ。だが刳物はこれらの単純な道具だけで作ることができる。木を割って、まわりを削り、刳り窪みを作るだけで容器になる。このような方法で弥生時代には多くの刳物容器が作られていた。刳物技法はこの時代に基本的な製作方法がすでに確立していたようだ。鉢や臼の場合は現在の手作りの製作方法とほとんど変わっていないと考えられる。また、弥生時代は稲作が伝わったこと時代で、脱穀用に大型の木臼が登場した。この頃の臼は全てくびれ臼と竪杵だった。

刳物と挽物(ひきもの)

椀や鉢などの器は材料を回転させて刃を当てて削る、手回しのロクロ(轆轤)で製作していた。これを挽物という。弥生時代には手回しロクロがあったという説もあるのだが確かではない。人力によるロクロでは大きな物は回すことができないため、椀や鉢などの小さいものに限られていた。大型の木鉢や臼が挽物で製作されるようになったのは、戦後になって電動の大型旋盤が普及してからとなる。