第七章 民俗と伝承

古い臼の処分(7-1)

古臼の処分はどうすれば良いのか

古い器物に霊が宿る、という話を聞いたことはないだろうか。怪談に出てくる妖怪のようだが、古い臼はとくにそんな気がしてならない。もともと臼は太い丸太を掘っただけのものなので、木目が入り組んでいる様子を見ると、木の魂がそのまま宿っていても不思議ではない。それが使い古されて何十年も、なかには百年以上も経ち、灰色になり、傷だらけになり、ひび割れ、なかには虫の穴だらけになった臼を見るとなおさらである。臼屋をしていると古い臼を「処分して欲しい」と頼まれることがよくある。臼の修理もしているので、修理できなければ使い道はないわけだ。

臼の処分方法はいくつか考えられる。一つはただ捨ててしまう方法だ。しかしいまは捨てればただの産業廃棄物ということになってしまう。古道具屋が引き取ってくれれば、誰かが活かしてくれるだろうから助かるのだが、買い手がいないのかなかなか引き取ってくれない。それでいくつか貯まった古い臼の置き場に困り「花を植えるので欲しい」という花屋の友人にすべてあげてしまった。花でも植えて自然に任せて腐らせて、土に還すのが良いのではと思ったからだ。埼玉の臼の親方も山形の臼職人も同様に考えていた。

臼は神聖な物

昔は臼が果たす役割は大きく、神聖な物、神仏が宿る物として大切に扱われてきた。 正月に輪飾りや餅を供えるだけでなく、臼をまたがない、上に物を置いてはいけない。

ところが、臼の縁を切って椅子にしたものを見かけることがある。臼に腰掛けては罰が当たるのではないかと心配になってしまう。

臼を再利用するならば、丸いガラスを置いてテーブルにするのはいかがだろうか。傷つけていないし、家の中心的な存在となっていることから許されるのではないだろうか。知人は飾り台にしているが「祖父が買って使っていた臼を近くに置いておきたい」という気持ちからで、これなら臼も喜んでいるはずだ。

臼にペンキを塗って店の看板にしているのを見たことがあるが、これはやめて欲しい。ペンキを塗ってしまうと、以下に述べるが、薪にすることができなくなってしまう。

民間伝承では割って薪にする

臼の処分方法が民間信仰のように伝承されていることがある。処分方法は割って薪にする、というもの。「臼を割って薪にするのだが、近所七軒に分配してからでないと、カマドに入れてはならない」とある。「薪にして分配する」という処分方法は各地に残っている。

ちなみに石の挽き臼の場合は「魂ぬき」といって、二つに割って捨てられる。割られた石臼には神様は宿っていないので、普通の石として処分されるという。

現代は木臼を捨てれば産業廃棄物になってしまうし、住居が密集していて庭に置いておくとシロアリがついてしまう。最終的な処分方法としてはやはり薪にするのが良いのではないだろうか。堅い木臼を割るのは容易なことではないので、チェンソーで切るしかない。カマドのある家はないので近所に配ることはできないが、餅つき用の薪として使うのはどうだろうか。